「やりたいこと見つかったよ」の笑顔が嬉しい!たーくんの《仕事=辛く苦しいもの》を変える挑戦。

たーくん、くまさんのおもちゃ箱、繊細なままで夢を叶える

みっくが綴る、たーくま物語

たーくんはずっと、《仕事は辛く苦しいもの》という世界観の中で生きてきました。

自分はダメだと、限界まで自分を追い込み、頭痛に倒れて初めて、何かがおかしいと気づきます。

そんな頃、SNSで見かけて惹きつけられたのは、のちにコーチングを師事することになる、平本あきおさんの笑顔全開の写真でした。

こんなに楽しそうに仕事をする人が、本当にいるんだろうか?

最初は半信半疑。

そして、会ってみたい!と思うようになったのです。

それから、たーくんの「仕事を楽しく」への探求が始まりました。

楽しそうに仕事をしている人を探し、見つけては、遠方まで直接会いに行きました。

そしてまた、平本さんとの出会いから、自分の心理学、心理療法への興味が、ぐっと開いていきます。

平本さんとともにスクールの講師をしていた、宮越大樹さんの情熱的な講義に魅了されたことにも背中を押され、体調不良を抱えたまま、仕事の合間に、遠方のプロコーチ養成スクールに通いました。

その後、心を縛り付ける生き方がどんどんできなくなっていったたーくんは、会社を退職し、プロコーチの道へと歩みを進めました。

そんなたーくんの、「仕事は楽しい」への挑戦の旅路をご紹介します。

お勉強をする意味がわからないのでやらない

たーくんは、「なんで勉強するのか」にこだわる子供でした。大人は誰も、たーくんの納得のいく答えをくれませんでした。

そんな時は、テコでも動かないのがたーくんです。

両親が、意思を尊重して自由にさせてくれたこともあり。せっせとお勉強に励むお姉ちゃんを尻目に、たーくんはのびのび育ちます。

高校も、家から近く、就職のしやすそうな高校を選び、高校では、テニスにはまって、授業はそこそこに、気の合う仲間と存分にエンジョイして過ごしました。

好きなことを、好きな時に、好きなように学ぶ。受験勉強なんてしんどそうでやりたくない。

高校卒業後は、選べた3つほどの企業から、なんとなく、有名な所を選んで就職しました。

夢なんて発想は、ありませんでした。

高校まで、存分に羽を伸ばして育ったたーくん。社会人になり、環境の変化にうろたえます。

18歳。必死に仕事を覚えた

仕事は大変なもの、上司の命令を聞かないといけない、言われたことをやらなくちゃいけない、そう思って必死に仕事を覚えました。

テレビなどでこういうのはダメな社員だ、というのを見た影響や、子供の頃の傷ついた思い出や、大人になって両親のたーくんにとって好ましくないところが目につくようになってきた影響で、社会人としてちゃんとしたい、という強烈な思いがありました。

大学も出れないような人はダメだって言うような人もいるけど、たーくんはそれじゃなくて、将来、ちゃんとした親になりたい、というところに意識が向いていました。

20~21歳。「ちゃんとした」社会人にならなくちゃ

仕事はもっと厳しいものだと思うようになりました。いい部下にならなければと思ったし、いい先輩、いい上司になる準備を必死にしました。

使えなければ捨てられるだけだと思っていたのです。自己啓発書をたくさん読み、熱心に効率化を目指しました。

文句を言うような上司にはなるまい、文句を言われるような部下にはなるまいと思い、ちゃんとした上司、ちゃんとした部下になろうと気持ちを張り詰めました。

22~23歳。周りが無能な人だらけに見えた

ストイックに上を目指した甲斐あって、徐々に仕事ができるようになってきました。その成長と、自分を責め、追い立て続けた心理が相まって、今度は周りがダメに見えてくるようになりました。あの人は大卒のくせに、とか、口には出さずとも、周りが無能な人ばかりのように見えました。

教育で受ける内容は全部できるようにせねば、できないことが一切無いように、と熱心に学びました。できないことがある人はダメなやつだと思いました。

25歳。自分に厳しく、甘えを許さない。

ようやくスタートラインに立った、と思える出来事が起こります。「タスクシュート」というスケジュール調整ソフトに出会ったのです。これでようやく普通になれた、と思いました。

(普通の基準が高い!!)

毎日、仕事をパンパンに詰め込みました。残業80時間では足りません。朝は6時に出社し、夜8時まで働きました。

何かを言い訳にしてできないのは嫌だと思うようになり、寮を出て一人暮らしをする決意をしました。

寮にいれば、ご飯が出てきます。こんな風に人に頼っていては、いい仕事はできないと思いました。シャツは毎日アイロンをかけました。

気を引き締めないといい仕事はできないと思っていました。

いかに言われたことをやるか、言われる前にやるか、言われた以上のことをやるか、をいつも考えていました。

人に聞くのは人の時間を奪うことだと思い、抱え込みました。

自分はできなきゃダメ、でも人はできなくてもいい、を受け入れるのが大変でした。

27歳。ストレス性の頭痛に悩まされる

ストレス性の頭痛が始まります。

この先、どうしたらいいんだろうって考えるようになりました。仕事の仕方は考えていませんでした。

この頃、頭に会話がずっと流れていました。レポートにこう書くと、上司にこう言われる、といったような仕事の内容が、エンドレスで頭を巡ります。それがどんどん早口になって、聞き取れなくなると、ズキズキと頭痛が始まりました。

自分はビジネスマンとして、健康管理ができないダメな人だと、さらに早起きするようになり、9時に寝て、3時に起きて、洗濯などの家事をするようになりました。

ついに頭痛がひどくなりすぎて会社に行けなくなり、やむなく休職となりました。

(今のゆるっとたーくんからは想像もつかない!寝る時間も、洗濯のタイミングも、今はとってもマイペース)

27~28歳。「やりたくないことを我慢してやらなくちゃいけない=仕事」

2ヶ月だけ休んで、仕事復帰をします。元の状態に無理せず戻っていこうと思いました。半年くらいで、定時退社から残業ができるまでになりました。保健師さん、産業医さんとゆっくり話す時間を意図的に作りました。

この頃の仕事の苦しさの象徴が「年間目標」でした。

僕のいた会社は、年末に、各自が資料を作成し、上司たちの前でプレゼンテーションするというスタイルをとっていました。

「年間目標」はいつもとても辛いものでした。前はあれをああ言われた、あの人はこうダメだしされてた、これを書いたらこう言われるに違いない、どうしたらいいのかわからない、といつもぐるぐるしました。

どうしても資料作成が進まず、退職前最後の年は、一人暮らしをして近くに住んでいたみっくに、何度も話を聞いてもらいました。考えるほど辛く、これまでの嫌だった出来事が思い出されて、車の中や喫茶店で、何度も嗚咽しました。そのくらい、辛かったのです。

この頃、僕の中では、「やりたくないことを我慢してやらなくちゃいけない=仕事」でした。

復職の時、上司が気遣ってくれて、やりたいことをやらせてくれると言われました。

でもその時の僕は、やりたいと何かを思わないといけないと感じてしまいました。

給料=我慢料でした。

やりたいとかどうでもいい、いかに言われたことをやるか、言われる前にやるか、言われた以上のことをやるか、に、思考が戻っていました。

自分がやらなくちゃいけないと思っていました。

復帰して1年。

残業時間をチェックしていました。自分が効率を上げ、仕事をたくさんこなすほどに、さらにたくさんの仕事がやってきます。常に仕事は山積みで、やってもやってもきりがなく、気が狂いそうでした。

自分が仕事を頼んだ相手に「忙しい」と断られた時、何をもって忙しいと言っているんだと、猛烈に腹が立ちました。僕の方が、圧倒的に、仕事量も、残業時間も多かったからです。

それなのに、仕事量や残業時間が自分より少ない部署から、仕事を頼まれた時も、理解ができないと、憤りました。何も見てないで頼んできてなんなのだと。

やらなくちゃいけないことも、徐々にサボるようにしていきました。

29歳。ついに仕事に行けなくなった

入籍し、同居を始めて間もなく、みっくが建築コーチングのお仕事をいただきました。みっくはいつも、仕事の前はウキウキそわそわ。仕事から帰ってくると、目をキラキラ輝かせていました。家にいるときも、よく仕事のことを考えてはニンマリしていました。楽しくて楽しくて仕方がないといった様子で、僕には眩しく感じました。

結婚式を直前に控えたある日。僕は会社に向かうために靴を履いたまま、玄関先で立てなくなりました。とうとう、精神的に限界がきてしまったのです。

そのまま1時間ほどでしょうか。みっくはずっと隣に寄り添って背中をさすってくれました。

そしてポツリ「いったん靴を脱いで部屋に上がろうか」と言いました。

靴を脱いで部屋に戻った時。みっくが言いました。「たーくん、どうしたい?」言っていいよ、と。

僕は、ようやく言葉を絞り出しました。「会社、辞めたい」

言い切るか言い切らないかのうちに、涙が溢れて止まらなくなりました。

みっくにぎゅうっと抱きつきました。みっくは「うんうん」と言いながら、また、背中をさすってくれました。

みっくの両親は動揺し、僕らは呼び出され、仕事は我慢するものだと最後まで説得され、結婚式で親類にはそのことは伏せるようにと言われました。

僕の両親は、休職のことなどを知っていたので、ここまでよく頑張ったねとねぎらってくれました。

退職を決めて

僕自身は、というと、気持ちがすごく楽になりました。

やらなくちゃいけないことから解放されました。責任を問われることもありません。時間の拘束がなくなりました。場所、服装、上下関係の拘束もなくなりました。

いなくちゃいけない、やらなくちゃいけない、しちゃいけない、の決まりが減っていって、楽になりました。

建築コーチングで体験した「お仕事」

仕事を辞めると決めた後、みっくとペアで、建築コーチングのお仕事に関わらせてもらえることになりました。僕はインテリア担当としてでしたが、コーチング自体は、日常のちょっとしたお悩みから設計に関することまで、あらゆる相談をみっくと二人で対応しました。

クライアントさんは、とても素敵な人でした。

僕はまだまだ頑張りすぎちゃう癖がありつつも、「この人のためにしたい」「この場所をもっとよくしたい」と、夢中になりました。

仕事なのに仕事じゃない感じ。とても不思議でした。

したいのは「役に立ちたい人の役に立つこと」

今「仕事」という言葉に違和感のある自分がいます。12年間の我慢などの負の感情が、結びついてしまっているからです。

今の僕がしっくりくるのは、「役に立ちたい人の役に立つこと」「好きな人の役に立つこと」「仲良くなりたい人の役に立つこと」です。

これをなんと呼んでいいのか、考えているところです。

言葉の意味づけを変えることができたらいいのですが、今の僕にはまだ難しいです。辛く、我慢していた時期の方が何万倍多いから。

この先にしたいのは

この先僕は、この「役に立ちたい人の役に立つこと」をします。それでお金をもらえたら、とっても幸せです。

自分が楽しんでいる割合が、多いほどいい。7~8割が楽しいことなのが理想です。

そのイメージは、例の建築コーチングのお仕事です。

クライアントさんの話を聞く自分。あるエピソードを話してくれています。クライアントさんの胸には、嬉しさと悲しさの混ざった感情があるようです。それを僕もまた感じています。

そして、セッションが終わり、クライアントさん素敵だったな~とじんわりした気持ちで振り返ります。

僕はクライアントさんにとってこれは大事だったんだな~と思い返したりしています。

この感じが、とても豊かで、幸せで、僕の理想です。

今望む、その先の、未来

そんな風に「役に立ちたい人の役に立つこと」をしていった、その先の未来は。

いろんなところに僕の中のいい人がいて、お互いにいいエネルギーを与えあって、たーくんとみっくの周りは、素敵な人がいっぱい、そんなイメージです。

クライアントさんが、笑顔になること。その人がやりたいことをやって笑顔になっています。

「たーくんのおかげでやりたいこと見つかったよ~」声を弾ませて報告してくれます。

建築コーチングなら、出来上がった建物を訪ねます。「あの時言ってた夢が叶ってるな~!いいなぁ!素敵だなぁ!」僕は感動で胸がいっぱいになります。

これが僕の夢であり、ビジョンです。

未来のたーくんから、今のたーくんへ、メッセージ

この未来のたーくんから、今のたーくんへ、メッセージをもらいました。

「楽しいことやろう、初めは好きじゃないことでもいいよ、変えていけるから。遠慮しないで変えていけばいい。好きじゃないことから始めてもいいよ、楽しくなるように変えていけばいいから」

なんだかとても安心して、ホッとしました。

最後に。読んでくださったあなたへ

僕もまだまだ道半ばですが、こうなりたいな、という未来に向かって、一歩ずつ歩んでいきます。

かつての僕と同じように、この生き方でいいのかな、なんかちょっと違和感があるな、そんな人に、僕のこの体験がご参考になれば幸いです。

一緒に、自分のこうなりたい、に遠慮することなく、自分らしいペース、進み方で、歩んでいきましょう。

(インタビュー、代筆:みっく)

CTA
ボタン