ずっと男性に生まれればよかったと思っていた私が、女性でよかったと、女性を楽しむようになるまでのストーリー

髪型

「女を捨ててる」と言われた日

「あいつ、女を捨ててる」

男性に言われたことがあります。

その当時、私はボサボサの頭で、髪を振り乱して、男性に負けまいと必死に仕事してました。

女でも男性と変わらずやれるって証明しなきゃ、と自分を追い込み、張り詰めていました。

小さなの頃の悲しかった思い出

私は子供の頃、男の子のような短髪を強要されてました。

私の夢はお姫様でした。ロングヘアにして、フリフリのスカートをはきたかったのです。

でも、短髪では、スカートは全然似合いませんでした。

魔法で髪の毛が、一瞬でロングになる夢を、繰り返し繰り返し、みました。そのくらい、強く憧れていました。

そして、どれだけ母にお願いをしても、少し伸びただけで床屋に連行されてしまう。

女の子らしい髪型が、お友達には許され、自分だけ叶わないことが辛くて仕方ありませんでした。

でも小さいので、理不尽だとか、納得いかないとか、そんなモヤモヤした感情を受け取ることも説明することも、できません。

ただ、爪を噛み、髪を抜き、虫を殺し、やり場のないストレスをいつも持て余していました。

いつしか攻撃の先は自分に向き、私なんかが、女の子らしくしたいだなんて、そんなこと思ったらダメなんだと思うようになりました。

みっく

思春期

中学生の時、どうしても耐えられなくて、必死に反発して、ボブまで伸ばしました。母の目線は冷たくて。

母は、ため息混じりに「またみきえの髪が落ちてる」とよくイヤミを言いました。長いから目立って迷惑だと、しょっちゅう言いました。

生きていれば、髪の毛は自然に毎日、生え、抜け落ちて、それは意思ではコントロールできないのに。 

生理がきた時も、母は暗い顔をしてため息をつきました。恥ずかしくて、父には言わないでとすがったけれど、夕飯に出されたのは赤飯でした。やめてほしいと言ったのになぜと問うても、表情は硬く。答えは返ってきませんでした。

他の女の子のように、テレビドラマやジャニーズに興味を持ったときも、後ろから覗き込んでは、ニヤニヤと、へぇ〜そういうのが好きなんだね〜とバカにしたように言いました。

女性らしくすることは、母からの冷たい視線や言動を浴びることでした。

(写真は高校生のとき。)

みっく

女性らしさはみっともないことだと思い込んでしまった

いつしか、女性らしさは、恥ずべきものだと思うようになりました。 

なるべく胸を隠すように背中を丸め、ガニ股で歩きました。

無意識でやっていたので、お友達にみっともないよ、と指摘されたときは、顔から火が出るほど恥ずかしかったです。

それでも治すことはできませんでした。

 二人の自分がけんかをしていた

矛盾はずっとありました。

おしゃれして女子を楽しみたい自分と、女性らしさはいけないことだと忌み嫌う自分と。

ふたりの自分がいつもケンカをしてました。

大学生になり、親元を離れてから、選ぶ服はラブリーでレースが付いていたりするのに、猫背とがに股がやめられなかったのです。

男性にすがった結果

ここまでの思い入れのある長い髪を、妥協したことがあります。

男性からの愛情を得ようと、無理して彼好みの、ショートヘアにしていた時期がありました。 

ご推察の通り、いいようにあしらわれて、ポイッと捨てられて、それは惨めな思いをしました。

みっく

自由の象徴?だけど

それ以降は、頑なに、ロングヘアを貫きました。

ようやく手に入れた、自由の象徴でした。

でも、子供の頃ストレートだった髪は、その頃にはうねうねの癖毛になっていて、束ねないと、特に寝起きはサイ〇バ?のようだったし、束ねても、毛先はいつも、ボサボサでした。

それでも、絶対に短くすることはありませんでした。

自由の象徴ではあったけど、何か、悲しみの重さがそこにはありました。

みっく

 36歳、呪縛からの開放が突然やってきた

そこからの卒業は、36歳の時にやってきました。

人ごみの中で、ひときわ美しく輝く方に出会い、惹きつけられました。私は女性らしいその人の輝きに憧れました。半田都さんという方です。

その日、その方からファションコンサルを受けたという知人は、いつもよりずっっと、華やかでした。

ファッションに詳しいその方に、勇気を出して声をかけ、私もとアドバイスを求めたのです。

女性であることを、もっともっと楽しみながら生きたかったから。そうやってもっと自分を生きて、プロコーチとして、ワンステップ飛躍したかったから。

するとその方が、「みっくちゃんはこれがきっと似合うよ」と、とてもイキイキと勧めてくれたのがロングボブでした。肩よりも少し上くらいの長さです。

その方は、イメージしやすいように見本の画像もたくさん送ってくださいました。

その方のそんな関わりが、エネルギーが、とても嬉しくて、その方みたいに美しくなれるんじゃないかと、私はウキウキと髪を切ったのです。髪を切ることに、生まれて初めてワクワクしました。

それが、本当の呪縛からの開放でした。

新しい世界

鏡に映る、ボブ(ロングボブ)の自分。ドキドキしました。

その後、真っ赤なリップをつけてもらい、さらにドキドキしました。

SNSに投稿したら、大反響でした。

みっく

母への反発が収束していった

それまで、母への反発心や悲しみから、ずーっとロングにして、リップもほとんどしなかったことを、より理解しました。

そして、長くロングをやりきって、納得して髪を切れてる自分を、本当に嬉しく思いました。 

34歳ごろかと思いますが、母に、子どもの頃、日々怒鳴ったり自由をくれなかったりした、あなたの諸々の態度がとても辛かったのだということを、勇気を出して告白できたことがあり、ずいぶん軽くなっていたのが、ここでさらに緩むのを助けてくれました。

自分への信頼を確認できた

ずっと、髪を切ったら短髪の日々の辛さを思い出しそうで怖かったし、髪を切ることは母に服従する象徴になっていたので、不快でした。

だから、髪を切っても、私は私って思えていること。 ロングでなくても、《思いを表現し、自由であれる自分》になれてることが、本当に嬉しかったのです。

自分はアサーティブなコミュニケーションも学んだし、自分の思いを伝える勇気もある。その自分への信頼が確認できたからです。

女性らしくありたいと思っていい、という喜び

女性らしくありたい、というのは小さなころから内側にあるもので、長く抑圧してきた想い。

女性らしい身なりをし、自分の女性らしさを、喜ばしく受け取れていることを、本当に幸せに思います。

複雑な思いをまたひとつ手放せたことを、確認できました。

今、精一杯だった、その時々の自分を、愛おしく思います。

みっく

その後、ひとつの奇跡が起きた

うねうねだった私の髪が、なんとストレートに戻ったんです。

周りに迷惑ばかりかけた、自分の使命とはズレてるような違和感のあった仕事を辞めました。

我慢してつらいことを乗り越える達成感ばかりを追い求める生き方を辞めました。

そうしたら、髪の毛がストレートになったんです。

ストレスが影響していたようでした。

髪が短いのも、長いのも、どちらも気分次第、と自由になったら、今後は、ロングにしても束ねずに下ろすことができるようになりました。

5歳の頃に憧れてたスタイル、ロングに固執してたときにはできなかったスタイルです。

「どんな自分も大好き」と思えたら、憧れてたスタイルになれました。

みっく

最後に

私はこれからも、女の子を、めいっぱい楽しんで、生きていきたいと、思います♡

年齢や人の目より、自分の内側が喜ぶことを大切にしていきます。

こんな私の歩みを見て、女性性をもっと受け取りたくなった、と言ってくれる人がじわじわ出てきました。

中には、みっくを見て欲しくなったからと、2人も同じシャネルの真っ赤な口紅を買ったと報告してくれましたし、みっくを見て髪を切ってみたくなったと言ってくれた人もいました。

こんな私だからこそ、これからも伝えたい。

あなたも私も、女の子に生まれて幸せだね!

これからも一緒に、もっともっと女の子を楽しもう!

 

たーくん
男性で、「男らしく」が苦しいという人は、たーくんの「かわええ好き男子部」をどうぞ〜!
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